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言葉によってコミュニケーションができるということはすばらしいことですね。言葉によって、自分の気持ちや情景、これまでのことや将来のこと、夢を語り合うこともできます。
犬や猫などでも、泣き声によって、表情によっていくらかのコミュニケーションをすることはできますが、かなり限界があると思います。
「ほら、こんな絵を描いたんだよ。どう思う」
といっても犬は、答えてくれません。
言葉を語るということは、人間はともに生きる存在として造られているということでもあるのです。

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。(ローマの信徒への手紙12章15〜16節)
喜びも悲しみも、思いをひとつにして、ともに生きるものとして、
すなわち、愛し合い、仕え合う喜びをともにできるのが人間なのです。
神様の
大きな御手の中で
かたつむりは
かたつむりらしく歩み
蛍草は
蛍草らしく咲き
雨蛙は
雨蛙らしく鳴き
神様の
大きな御手の中で
私は
私らしく生きる
水野源三詩集より
悲しみよ悲しみよ
本当にありがとう
お前が来なかったら
つよくなかったら
私は今どうなったか
悲しみよ悲しみよ
お前が私を
この世にはない大きな喜びが
かわらない平安がある
主イエス様のみもとに
つれて来てくれたのだ
言葉の持つ力、というところにも書きましたように、言葉には力があります。